土日、空いてます。仕事したいです。
こんばんは、余韻のノダ タツヤです。
28,29,30とお休みを頂きました、本当にありがとうございました。ご予約を頂いていたお客様、ご予定だったお客様には大変なご迷惑をおかけしました、ご理解頂き本当に感謝致します。
余韻は本日よりまた通常営業です、土日空いてますのでご予定合えば是非ご利用下さいませ。
27日の晩に祖父が亡くなりました。大好きな祖父でした。
母から電話をもらった時僕はお酒を飲んでいて、その瞬間の気持ちは正直ほとんど覚えていません。
電話を切った後で、(予約をどうしようか)(今月の目標は)と間髪いれずすぐに考える事が出来た時点で、経営者としては良かったのかもしれない。それでも人としてとても恥ずかしい方向に進んでいるのかもしれないと思いました。お酒が回っていた事もあって割とすぐ眠りにつきました。
一人で店を営む今の状況からすればきっと祖父は許してくれたと思うけど、とにかく今はそれだけが心残りです。
結果ご予約頂いていたお客様にはすぐに連絡がつき、皆様日程の変更をお引受け下さいました。本当に感謝しております、ありがとうございました。
翌日28日はお昼までの予約でストップし、その晩熊本へ帰省しました。
祖父は自宅に運ばれていました。最後に会った時よりふっくらしたなぁと思っていると
『痩せすぎとったけん綿を詰めてあるとよ』
母が言いました。
僕が最後にあったのは5月6日の月曜日。施設で髪を切ったそこから丁度三週間後、祖父は息を引き取りました。最後は肺炎だったそうです。
その日、明らかに弱っていた祖父にまだまだ頑張ってもらおうと思って
『次は7月頭に髪ば切ろう、お惣菜屋さんもオープンするけん写真撮って持ってくるたい』と伝えて帰った事ははっきり覚えています。
祖父の死はもう少し先だと信じ切っていて、現実がふわふわ宙に浮かんでいるような感じです。今だに全く理解が出来ずにいます。
それは自分自身にぴたりと蓋をしているような感じ。今日だっていつも通り、普段通りに過ごしました。
でも、もう祖父の髪を切る事は出来ないし、惣菜屋も楽しみにしてくれていたんですけど写真を見せる事は出来ません。
そういう現実とこれから対面していく時、蓋が外れた時が怖いなぁと今思っています。
僕は、これまで生きてきた34年間で母の号泣する姿を初めて見ました。見たと思います。
悲しい事や辛い事は幾度となくあっただろうし、祖母が亡くなった時もそれは絶対にそうなんですけど
それでも、叔母に肩を支えてもらいながら嗚咽する母を初めて見ました。
通夜で涙をほとんど見せなかった母は、翌日火葬場にて燃えていく祖父を前に泣いていました。
僕は少し後ろからそれを見ているだけでした。涙も出ないし、ただ立っていました。
僕だけ現実を受け入れられずにいました。
映画のようで、何かドキュメンタリーを味わっているかのような三日間でした。
大切な人はいつかいなくなるし、いなくなってから色んな事に気付くんだと思いました。
祖母が亡くなった時も確かにそう思いました。
でも思い出さなければ忘れてしまうし、感情は少しずつ薄れていくし。そうやって前に進むのかもしれないけど。
だから写真を撮りました。リサイクルショップで500円だったフィルムカメラで、三日間通して写真を撮りました。
見返そうと思います。祖父が亡くなった現実を、悲しみをきちんと味わうために。
その人が生きている間にやれる事全部、なんて事は絶対にないんだけど、それでも思い出す時に積み重ねていかないといけないなと思います。
大好きな祖父が亡くなりました。
こうして書けているので意外と冷静なもんです。
むしろ今はとにかく仕事をしたいです。
じいちゃん、ありがとうね。
それではまた明日お会いしましょう、良い夜をお過ごし下さいませ。
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